4年間の闘病生活について

イカが21歳を迎えた2000年の冬、体にたんこぶのような膨らみが出来たのがきっかけで、病院に検査に行きました。いくつかの病院を回ったのですが、全ての病院で「大きい病院に行きなさい」と言われたことから、西新宿にある東京医大病院に行き、悪性リンパ腫と診断され、2001年の夏頃、最初の入院生活が始まりました。
初めは病気よりも、病院が怖くてドキドキした生活を送っていたマイカですが、持ち前の明るさで、担当医の先生方や看護師さん達、そしてマイカと同じように入院されている方々と仲良くなり、抗がん剤などの強い薬にも耐え、約8ヶ月間の入院生活の末、寛解(完全に病気が治ったわけではないが、症状が消えた状態)しました。8ヶ月の入院の間、看護師さんに驚かれるほどお友達にお見舞いに来て頂いたようで、彼女の人望の厚さを象徴していました。
退院時「5年間病気が再発しなければ安心出来る」というお言葉を担当医の先生方から頂いて、通院しながらでしたが、もとの生活に戻っていきました。8ヶ月間の入院生活による体力の低下を取り戻そうと、入院前に働いていたスイミングスクールにかつらを被りながらも復帰し、その後体力の回復を確信してから大好きなディズニーランドでの仕事にも復帰しました。
退院後の生活が安定してきた矢先の2004年の11月頃から体の痛みを訴え病院で検査をしたところ、残念ながら病気が再発したという診断を受けました。そして12月の半ば、ディズニーでの仕事を退職した次の日に再び東京医大に入院することになりました。ギリギリまで入院を拒んでいたことから、前回よりちょっと体調が悪い状態で入院生活が始まりました。再発ということもあり、抗がん剤が効きにくい状態になっていたことから移植をしなければならなくなり、2005年の9月の半ばから慣れ親しんだ東京医大から虎ノ門病院へ転院することになりました。今まで親しんだ担当医の先生や看護師さん、そして入院仲間の方々の別れを惜しんだマイカでしたが、移植して元気になって挨拶に来ることを心に決めて、転院していきました。
しかし虎ノ門病院に転院した頃にはかなり体調が悪くなっており、熱を出す回数も増えてしまいました。そして移植の日を迎える1ヶ月ほど前から白血球がゼロの状態になり、肺炎にかかってしまいました。その肺炎の影響で呼吸が難しくなり、人工呼吸をつけなければならない状態になってしまいました。もちろんマイカは苦しくても諦めてはいませんでした。移植の前処置のために行った全身放射線の影響で腎臓も悪くなり、血液透析をすることになっても痛みに耐えていましたが、2005年11月17日午前4時20分に残念ながら肺炎の進行が早く呼吸不全となり、病気に勝つことが出来ないまま、旅立っていってしまいました。マイカは最後まで退院して、元気になって、沢山のお友達と再会すること、そして不本意に退職しなければならなかったディズニーでのお仕事に復帰することを目標にずっと病気と闘い続けてきました。このブログで皆様にお見舞いをご遠慮頂くようにお願いしたのは、彼女の頑張るという意思と心配を掛けたくないというプライドからであると思います。
亡くなってしまった後、病院側から病理解剖の依頼がありました。家族は一瞬悩みましたが、マイカならきっと「自分がこれだけ苦しんだから、他の人には苦しんで欲しくない。自分の体を解剖することでこれからの人々が少しでも苦しまなくなる助けになるのであれば解剖して欲しい」と言うのではないか、と考え解剖を了承しました。本当に最後の最後までマイカは頑張って、26年間を生き抜きました。(byりこ)